40歳の誕生日
2009年12月初旬、お義母さんに背中を押されてやってきた新しい病院。
ガンの最先端治療のための病棟を持つ大学病院でした。
心のケアをする緩和治療のチームやガン専門の看護師さんもいて
おかあちゃんにとって初めて心から信頼できる病院だったと思います。
おかあちゃんはこの頃からガンが皮膚の外側に現れる炎症性乳ガンを発症していました。
右の首辺りがボコボコして赤く発疹のようになっていました。
ガン細胞が皮膚の近くまで転移していました。
ガン細胞は身体の弱っているところを蝕みます。
手術後の放射線治療をした皮膚はかなりダメージを受けていました。
そしてこのタイプは進行が早い。抗ガン剤治療をしていたものの
少しずつ痛みは強まり、ガン細胞も皮膚近くに転移し続けました。
痛みと不安との闘い。
程なく体力の衰えとの闘いが加わります。
2010年4月のある日、38度を越える熱を出してしまいます。
すぐに病院にかかったところ白血球の値がかなり下がっていました。
白血球の値が下がると抵抗力が下がり風邪などにかかりやすくなるのです。
1年半以上の抗ガン剤治療は抵抗力を奪っていました。
この入院は先に続く更に苦しい闘病の予兆でした。
9日間病院で過ごした結果、熱は下がり白血球の値も何とか通常程度まで回復し退院。
この頃はとにかく日常生活を立て直して家族みんながハッピーに暮らせるようにいろいろ試行錯誤していました。
うまく気持ちを伝えられずにすれ違うことも多く
この頃はよくケンカというか言い合いをしていました。
おかあちゃんは抗ガン剤の副作用と気持ちの落ち込みで家事はおろか
一日何もできない時もありました。息子は1歳半。
子育てと家事をしながらの闘病には限界がきていました。
むすこを日帰りの託児所に預けてみたり、おとうちゃんがなるべく在宅で仕事をするために
新しい家を探したり、身内や友達に家事子育てを手伝ってもらったり。
立ち止まりながらも少しずつ…
そんなつもりでした。
2010年5月、おかあちゃんは40歳の誕生日を迎えます。
「ありがとうがいっぱい。」日記にはそう書かれていました。
お義母さんが亡くなって半年、最期の時間まで5ヶ月。
そんなハッピーバースデーでした。
2012年12月29日(土) ハイブリッドとうちゃん
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