ある看護師さん
2010年8月。
入院して2週間が経った頃、今後の治療方針について担当の医者と話をしました。
抗ガン剤には多くの種類がありますが、既に大半はおかあちゃんのガンには効きませんでした。
残った選択肢の少なさに不安を感じながらもボクとおかあちゃんは何かしらの治療を続ける気持ちでいました。
その説明の後、一人で別室に呼ばれたボクは衝撃的な告知を受けます。
「秋まではもたない。少なくとも年は越せない。」
いや。元気いっぱいとは言えないけれど、普通に食べて会話して毎日を過ごしてるじゃないか。
この状態で秋までもたないっていったい?
正直、担当医からの説明を頭で理解しようとするものの
上の空というかまるで他人の話を聞いているように現実感がありませんでした。
悲しさまで気持ちは追いつかず、フワフワした時間がしばらく続きました。
その後数日間、その告知をおかあちゃんに伝えるべきかどうか悩みました。
ボクはこの頃おかあちゃんの病気のことをある人に頻繁に相談していました。
ボクは彼女に随分助けられました。
最期の入院生活でおかあちゃんとボクにとって大きな出会いでした。
その人はスミさんというガン治療専門の看護師さんでした。
おかあちゃんの余命について告知すべきかスミさんに何度も相談しました。
混乱しているボクの絡まった思考をうまく解いて整理してくれました。
結局ボクはおかあちゃんには告知しませんでした。
おかあちゃんの病気を治して日常生活に戻りたいという強い意志。
告知はこの気持ちを折ることになる。
彼女の残りの人生にプラスにはならないだろう。
それがボクの結論でした。
この頃、腫瘍は皮膚を浸食し、患部に服が触れるだけで激痛が走る状態。
彼女は自分の休日を返上しておかあちゃんのために脱ぎ着し易い服を買いに行ってくれたり、
勤務外でもおかあちゃんの病室に来て親身になって長い時間話を聞いてくれたりしました。
おかあちゃんは何かある毎に
「スミさんは今日は何時に来るかな?」「スミさんに聞いてみる。」
ある意味家族以上に信頼していました。
ボクたちが2年の闘病の中で最も心を許した病院の人。
あの人がおかあちゃんの最期の時間にいてくれて本当によかった。
2013年2月27日(水) ハイブリッドとうちゃん
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