試練は乗り越えるものじゃないかもしれない
癌での訃報が続く。
もはや癌で亡くなること、若くして命を落とすこと、
そして、小さな我が子を遺して先立つことも珍しい話では無くなってきている。
来月にはむすこが9歳になる。
ということはボクとむすこがおかあちゃんとお別れをして、もうすぐ7年になる。
毎年暑い季節になると、汗だくになりながら駅から病院まで歩いて通った日々を思い出す。
毎年思い出し方は違う。人間は都合の悪いことは忘れるということらしく、
ボクの記憶の色も少しずつ鮮明さを失っていて、刺すような痛みもほとんどない。
自分でも勝手なもんだと思うこともあるけれど、4人の子供たちを育てながら
仕事をする日々のおかげでもあるかもしれないし、勝手かどうかさえよくわからないでいたりもする。
先日ある芸能人の奥さんの訃報を聞いて、すごく悲しい気持ちになって、久しぶりにあの頃の自分と向き合った。
亡くなった奥さんの年齢があまりに若かったことは理由として大きい。
ボクとは立場がぜんぜん違うけれど、試練の只中だろうなということを想像してみたりした。
自分の7年前の試練から今日までの日々を思い返してみたりした。
試練は乗り越えるものじゃないかもしれない。
正確に言うと、試練は乗り越えるという表現が正しいのではなくて、
寄り添って生きていくものなのかもしれないなと思った。
この7年間、あのときの事実や気持ちはずっとその場所にあって、
その場所に対して自分の位置が変わってきただけなのかもしれない。
毎朝仏壇に手を合わせるときに、あのときと自分の距離を確かめながら、
7年間毎日元気に過ごしてこれた。
それを乗り越えるというのかもしれないけれど、ボクにとっては乗り越えるという感覚はない。
少しずつ距離は離れて、色が薄くなっていくところがでてくるから、乗り越えようとなんてしなくてよくて、
空いた場所に新しいことを埋めていけばいい。少なくともボクは、そうすることで前に進めた。
いま試練の只中の人に何かアドバイスをするとか、そんなたいそうなことをするつもりはなく、
7年前の試練にあった自分自身に向けてみた。
もしくはこれから試練にあうことがあるかもしれない自分自身に向けて書いてみた。
日々の忙しさにかまけてさぼっていたこのブログ、また少しずつでも書いていこうと思っています。
2017年6月25日(日) おとうちゃん
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