やっと追いついた。そして一生とどかない。
40歳。
おかあちゃんの年齢に追いついた今年の命日。
7歳年下のボクが7つ歳を重ねたという事実があるだけなのだけれど、
この年齢でたくさんの人やいろいろなことから、さようならしなければならなかった現実は
あまりにも辛いなと、同い歳になってより強く感じる。
そして、この年齢で、急激に弱っていくことを受け入れながら死を迎えることをボクは想像すらできない。
毎年秋口になると、おかあちゃんが亡くなったことをぼんやりと考えることが多くなる。
寂しい話しだが、彼女がいなくなった喪失感は年々薄れる。
むすこはどんどん成長して、生活は日々繰り返されている。
それが遺された者が生きていく術だから。
そして塗り替えるように、もし今自分が死んだらどうなるんだろう?という想像が濃くなっていく。
遺される家族のこと、大切な人たちのこと、仕事のことを考えると、
心をギュッと掴まれて不安な気持ちにしかならないのだけれど、
遺された立場になったボクには想像できることで、みんなたぶんなんとかなるし、
なんとかしてくれるだろうなっていうところに辿り着く。
そして気が付けば、もし死んだらボクの気持ちはどこに行くんだろう?という
子どもの頃に誰もが一度は考えたことのあるような、しょうもないことを考えている。
どれだけ想像してみても、いま生きているボクにとって死ぬということに対する答えを出せるわけはなくて、
7年前最期の闘病のときにおかあちゃんが「いつもの生活に戻りたい。家で過ごしたい」
と何度も言っていた言葉を思い出して、思考は目の前の日々を繰り返す場所に戻ることになる。
生きることは死を意識することだ、と何かで読んだが、その通りだと思う。
死ぬまで生きる。
ただそれだけのことを難しく考えてしまって道に迷うことがあるけれど、
ボクにとってやるべきと決めたことを毎日繰り返すと決意する40歳。
やっと追いついた。そして一生とどかない。
あの日と距離を測りながら、40歳と距離を測りながら、
今日を、今を生きていこうと思う。
2017年10月4日(水) おとうちゃん
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